由緒

元石清水八幡宮は、807年(大同2年)8月17日 奈良 南都七大寺の一つである大安寺の鎮守として建立されました。

最澄・空海も修行したと記録される大安寺の僧 行教和尚が遣唐使としての帰途、大分県宇佐神宮の第一祭神 八幡大神(応神天皇)からのお告げで、宇佐神宮より南部大安寺本房第七院石清水房に勧請いたしました。

ほんの一時期を経て、八幡大神は平城天皇の勅命により 現在の位置に祀られたと言われておりますが、その際、手を洗うための水がなかったため、行教和尚が松林の中の磐座を法具で叩いたところ、美しい清水が湧き出し 池を作ったと伝えられております。現在の御霊神社の龍池です。

その後のある日、行教和尚は夢の中で 京都の男山に八幡大神(応神天皇)を祀れというご神託を受け、859年(貞観元年)京都府八幡市に山城石清水八幡宮(男山八幡宮)が建立されます。

この件については、行教和尚が 改めて宇佐神宮へ出向き 男山に八幡大神をお招きしたという説と、大安寺より分神したという二説が語り継がれております。

1113年(天永4年)4月、奈良 興福寺大衆が 当時の習慣に則り、神輿を出して天皇に直訴するが、男山八幡宮は奈良の大安寺から遷座したものだから 共に参加するようにと呼びかけたところ、男山衆は 男山の八幡大神は宇佐神宮から直接 お招きしたもので、大安寺とは関係ない と「本社」を名乗って譲らなかったそうです。

石清水の名前は以前から男山にあったというのが 男山衆の主張なので、その主張と分けるために 元石清水八幡宮の名前が生まれたと言われております。

石清水の湧き出したとされる井戸は、現在も大安寺の北方御霊神社境内に保存されております。

元石清水八幡宮宮司 作 啓造

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